川越市 南古谷 並木の大クス

Photo0 埼玉県の天然記念物 “並木の大クス”
記録
日程:2019,02,19
メンバー:安田
02/19天候 晴れ:
行程9.3km 歩いたルートマップは こちら 参考にした100年前の古い地図は こちら です。
記載した川越市の市道番号は 小江戸川越マップの道路台帳 を参考にしました。
以前出掛けた茂来山の”コブ太郎”(トチノキの大木)を思い出し、それよりは小ぶりだが埼玉県指定天然記念物になっている”並木の大クス”を見に出掛けた。
”並木の大クス”は目通り幹囲が5.8mと言われるが前回は遠くから眺めただけだったが今回は住宅街の中をうろついて漸く全体像を見ることが出来た。
いつもと同じように高階市民センターから市道5322を歩き市道43に出て東上線踏切を越えて新河岸川手前で県道336に入り、新河岸川の旭橋と九十川の共栄橋を渡ってR254(ふじみ川越道路)に出た。更に県道336を直進し県道335との交差点に出た。ここまで県道とはいうものの道幅は狭く曲がりくねっているので歩いただけでは市道と県道の区別がつかない。まぁ国道とは名ばかりのところもあるので同じようなものか。
県道335の起点である南古谷方面に北上し大クスが見えてきたところで市道4370に右折したが住宅街に入り込んでしまったので、そのまま道なりに進むと右に曲がったり左に曲がったりしたあと漸く県道113に出ることが出来た。市道4370は県道335から県道113への車の抜け道となら無いように考えられた道なのかそれとも都市計画以前の住宅開発の跡なのかわからないが車では入り込むには覚悟が必要な道だ。
県道113を南古谷駅方面に少し進んで市道4184に右折。大クスの全体像を見ようと程よい距離で周囲を巡るが住宅に囲まれていて全体像どころか姿が全く隠れてしまうようなところもあった。
市道4184の先には田圃が広がり、さらにその向こうにはJRの川越車両センターが見えてきた。

Photo1 川越車両センター遠景
川越車両センターは昭和60年に川越電車区として使用が開始され、平成4年に改称された埼京線・川越線・八高線の運行車両の基地。
市道4182市道7180と巡ったが大クス全体の姿を見ることが出来ないので住宅街の中に入り込んでみると狭い公園((大クス公園))の中央に大枝を広げていた。植生保護のため根元まで近づくことが出来ず幹に触れることが出来なかったが公園脇の道路から漸く全体像を捉えることが出来た。
”並木の大クス”を後に県道113を川越市内方面に向かい川越線踏切手前で市道5461に左折、川越線沿いに暫く歩くと九十川手前で道は左に折れ、九十側沿いの道となった。川越線の九十川橋梁は新しくなったコンクリート製の新河岸川橋梁と異なり、

Photo2 JR川越線 九十川橋梁
古いままの鉄製ブレードガーダー橋なので近づいてみようと思ったが鉄柵で近づけなかった。次回訪れるときには対岸から迫ってみよう。
九十川左岸を進むと学校橋に出たがそのまま九十川の堤防上を進むと、かつて蛇行していた時代の河道跡と思われる空間(田圃)が現われた。

Photo3 九十川直線化以前の河道跡
地図では田圃の向こうの道路が弧を描いているのが良く解るが全体を捉えられない写真では良く解らない。
九十川の堤防上を歩き県道336の共栄橋に出たところで右岸に渡り、

Photo4 共栄橋から九十川上流側
更に新河岸川との合流点を目指して進み、途中に唯一残された無名の人道橋で左折し堤防から降った。

Photo5 幅が狭い無名の人道橋
昭和初期に開鑿された九十川の両岸の田圃を結ぶ農道の橋でリヤーカーが通れるほどの幅しかなく、かつては欄干も無かった。記憶によると橋から田圃の中に伸びる農道があったはずなので市道5242を辿ると昭和52年に開校した牛子小学校に突き当たってしまった。どうやらそのときに一帯の区画整理が行われ記憶の片隅にあった農道は消滅したようだ。
牛子小学校から市道5231、市道5230を経て県道335に戻り、新河岸川を渡って市道5340に左折した。新河岸地区から寺尾地区に入るとかつては畑が広がっていたので周囲の景色から判断して迷うことは無かったが、住宅が建ち並んだ今は自分の位置さえ解りにくい。
市道5340から市道5345に入り漸く見通しの利く住宅街の片隅に出たところで、遠くに見える散歩している人の姿を追いながら農道を歩いてどうにか市道5322に出た。
市道5322から市道5331市道5322と歩きいつものように高階市民センターへと戻った。
- 関連記事
-
- 砂久保陣場跡と藤間流発祥地
- ふじみ野市 六道の辻
- 川越市 南古谷 並木の大クス
- 新河岸駅・南古谷駅・上福岡駅 3駅周回
- 川越五河岸と仙波河岸