新河岸川の旧河道と力石 古市場 渋井

Photo0 新河岸川旧河道 富士見川越バイパスからの風景 富士山も見えた
記録
日程:2019,01,19
メンバー:安田
01/19天候 晴れ:
行程9.7km 歩いたルートマップは こちら 参考にした100年前の古い地図は こちら です。
記載した川越市の市道番号は 小江戸川越マップの道路台帳 を参考にしました。
旧新河岸川の下流側の河道を辿るついでに先日の寺尾調整池周回のときに見つからなかった江川都市排水路と北江川の合流点を探しに出かけた。
いつものように高階市民センターから歩き出し市道5332に出て直進、東上線踏切を渡って三角地帯で右折し市道5341から市道5353へ進み、

Photo1 寺尾の後原(せどはら) 台地の上は北風による畑土飛散防止の麦畑
市道5367で寺尾の台地を抜けて寺尾調整池に出た。
新河岸川上空を優雅に飛ぶ白鷺を見ながら新河岸川の堤防上を進み江川都市下水路の樋門で右折、

Photo2 新河岸川で餌の小魚を狙うサギ
江川都市下水路右岸の葦原中学校横を進むと対岸にある元福小学校と寺尾調整池の間の道路の下辺りに流出口らしきものがあった。

Photo3 北江川の江川都市下水路への流入点
出口には蓋があり北江川から水圧がかかると蓋が開き、江川都市下水路側からは逆流しない構造になっている。地図で見ると寺尾調整池が出来る前とおなじ位置。
宿題を終えたところで再び新河岸川堤防に戻り、下流へと向かうと直ぐに県道335並木川崎線の川崎橋。

Photo4 新河岸川を越える県道335の川崎橋
少し前まで架け替え工事をしていたが完成したのはいつだったか?平成10年の激特事業の新河岸川改修と同時期だったと思うが記憶が曖昧。
よく欄干の親柱のところに橋の名称と竣工年月日の銘板があるが、ここには名称しか書かれていない。架橋時ならたいしてお金が掛からないはずなので竣工年月日ぐらい書いたらどうでしょうかね。
川崎橋を渡り直ぐに右折。

Photo5 新河岸川の旧河道
新河岸川旧河道左側に沿って重機のキャタピラー跡を進むと直ぐに消失したので畦道を通って市道4385に出た。
旧河道に沿って進みR254富士見川越バイパスのサイクリング道兼歩道に出て南下。現在の新河岸川と昭和初期の河川改修で出来た新河岸川の旧河道に囲まれた部分はふじみ野市。一面に田圃が広がり建物が無いため見晴が良く写真では解りにくいが冨士山が見える。
歩道を暫く進んで信号のある交差点で市道38に右折すると直ぐに古市場氷川神社の前に出た。
道路横にある左右の幟掲揚石柱の手前に力石と見受けられるものがそれぞれ1個ずつ置かれていた 。右側の石には刻字があるが左側の石には無く、手持ち資料によるとこの神社にはある力石は1個ということなので右側のものだけが力石?刻字が無い左側の石も素人目には形、大きさともに力石のように見えるのだが。

Photo6 古市場氷川神社の力石
両者ともに土に埋もれかかっているがわざわざ左右の石柱のところに置かれているので地元の人たちは両方とも力石と見なしているのかも知れない。掘り起こせば刻字が出てくるかもと思いつつもひ弱な現代人では転がして確認できそうも無い。
この古市場氷川神社では見慣れた狛犬の前に始めてみる大理石製の狛犬があった。

Photo7 手前は大理石の獅子 奥は良く見かける狛犬
獅子宮氷川神社とも書かれたものがあったので獅子かとも思ったが良く解らないので調べてみたら獅子像も狛犬と言い、大陸から伝わった当所は獅子だったらしい。
不思議に思ったこと、解らないことをネット検索しながらブログを書くので時間がかかる。今回の得た知識は狛犬と親柱。橋の欄干は知っていが欄干の一番隅の柱を親柱と言うこことは知らなかった。
古市場氷神社の直ぐ後ろが河道なので忠実に辿ろうとしたがとても無理なのでなるべく旧河道に沿うように道路を歩き、

Photo8 古市場氷川神社裏の新河岸川旧河道
民家のブロック塀の間から旧河道に出て踏跡の無い草の土手を進み排水機場の横を抜けて新河岸川の堤防に出ると直ぐに県道56さいたまふじみ野所沢線の養老橋に出た。
更に堤防上を対岸の福岡河岸と福岡河岸記念館を見ながら進み蓮光寺を訪れた。

Photo9 川辺が河岸場 左奥の黒い建物が河岸場記念館
蓮光寺は立派な門構えの寺だが山門と総門が違う方向を向いている。山門・本堂ともには西向きで道路を隔てた新河岸川の土手、更にはその先の台地の方に向いて建っているのに対し、江戸時代の総門は新河岸川と直角で川越城下に向かって建っているのは、

Photo10 川越城下の方を向く蓮光寺総門
長禄二年(1458)に開かれたという蓮光寺の長い年月の歴史の間に氾濫を繰り返し、流路を変えた新河岸川の影響があるのかも知れない。
蓮光寺は高階の近代教育のルーツでもある。明治5年に初めて学制(太政官第214号)が発せられ蓮光寺に学校が出来、その後高階の砂の勝光寺と寺尾の勝福寺、藤間の東光寺に蓮光寺学校の分教場が出来て、明治8年にはそれぞれが砂学校、寺尾は江川学校、藤間学校として独立した。以降の推移については後日散策予定。
蓮光寺から往路の堤防上の道ではなく参道を経て県道56へ出て養老橋へと戻った。

Photo11 県道56の養老橋
養老橋の親柱には平成十三年三月竣工と書かれていたので平成10年以降の激特法以前から進められていた埼玉県による新河岸川流域河川改修の一環として架け替えられたものであろう。養老橋で対岸に渡り直ぐに左折、新河岸と同じように整備された河岸場の横を通り直ぐに右折して坂道を上がってゆくと右側に福岡河岸で回漕問屋を営んでいた福田屋の建物が福岡河岸記念館として保存公開海されている。今回は立ち寄らずに県道335に出て、立ち並ぶ住宅の中に張り巡らされた網目のような道から古道を探しつつふじみ野市から川越市域に入り高階市民センターへと戻った。

Photo12 1918年の地図に描かれている二又分岐
住宅が立ち並び自分の位置さえ良く解らなくなるようなところでは所では行き止まりが多い。行き止まりかどうか見分けるコツは道幅で4m程度なら通り抜けることが出来るが6mなら行き止まり。更に新しく出来た道か古くからの道かを見分けるには道の曲がり具合。古くからの道はくねくね曲がっていることが多い。山なら踏跡と周囲の地形で判断できるが込み入っていて高い建物など目印となりそうな物の見通しが利かない市街地では数百メートル進むのも難しい。
追記
雨宮清子(ちから姫)さんからコメントいただきました。
古市場氷川神社の石は両方とも力石として記録されているとのことです。神社は舟運で賑わった福岡河岸にも近く、昭和の大改修以前は新河岸川が直ぐ裏を流れていたので
力仕事の人たちも多く、その上境内の前は直ぐ道なので行き交う若い娘たちの視線を浴びて若衆たちが力自慢を争ったのでしょう。
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コメントの投稿
調子はいかがですか
安田さんは川越にお住まいなのですか。川越は私の家内の地元です。ところで、最近山に行かれていないようですが、調子はいかがなのでしょうか。
Re: No title
ちから姫様ご指摘ありがとうございます。
早々に追記しないと
早々に追記しないと
No title
力石を掲載してくださりありがとうございます。
古市場氷川神社の石柱左右の石は、両方とも力石と確認、記録されています。
古市場氷川神社の石柱左右の石は、両方とも力石と確認、記録されています。