川越市 新河岸周辺 河川改修の跡を追って

Photo0 新河岸川対岸の寺尾調整池付近 水辺にはサギの姿も
記録
日程:2019,01,16
メンバー:安田
01/16天候 晴れ:
行程9.6km 歩いたルートマップは こちら 参考にした100年前の古い地図は こちら です。
記載した川越市の市道番号は 小江戸川越マップの道路台帳 を参考にしました。
寺尾調整池から新河岸周辺を歩いたときに遊びまわっていた当時との地形の変化に驚いた。
平成10年8月の台風4号による大雨で新河岸川があふれたため河川激甚災害特別緊急事業(激特法)に指定され、5年間にわたる新河岸川の河川改修工事で寺尾調整池の設置や樋門、排水機場の新増設や整備が行われた。
今回は高階市民センター横の市道5325を北上し市道5321を通って市道43に出て東上線踏切を越え東に向かって直進。2005年に17年に架け替えられた旭橋を渡って牛子地区に入った。

Photo1 県道今福木野目線 新河岸川旭橋
このあたりは新河岸川の舟運が栄えていた時代には地形の変遷でも解るように九十川(くじゅうがわ)と新河岸川の合流点だった(図中Ⅰ)が、

Photo2 新河岸川旭橋周辺の地形変化
大正11年から昭和6年にわたる新河岸川改修工事で九十川の流路が変更になり合流点は新河岸川のずっと下流に変更された(図中Ⅱ)。
やがて中州だったところは整備され住宅が立ち並ぶようになった(図中Ⅲ)。ちょうど私がこのあたりを遊びまわっていた子供時代です。
そして平成10年の水害で激特法が適用され新河岸川の河川改修の結果、旧河川の旭住宅周辺の河道が少し変更になった(図中Ⅳ)。
旭住宅は新河岸川の向こう側にあるにもかかわらず新河岸(高階地区)の飛び地だがかつては中洲、新河岸川や九十川の昔からの河道変化を見れば納得できる。
旭橋を渡って左折し旭住宅入口で旧河川の土手に出た。

Photo3 旧河道 左側が旭住宅
ここから旧九十川沿いに歩いて昭和初期に開鑿された現在の九十川との分岐点、共栄橋を目指すが旭住宅を回りこんだ先からは土手上に踏跡が無く田の畦を歩いたり冬枯れした草を掻き分けて進んだ。
途中の用水路に架かった石橋は流路変更前には田んぼから九十川への流水を堰き止めた田島堰の残骸であろうか?”田島堰”と刻まれていた。

Photo4 旧田島堰の残骸 石標が今では石橋
共栄橋近くになると”旧牛子堰”の跡があり、

Photo5 旧牛子堰 大正2年竣工
かつての水門に刻まれた文字を読むと”大正貮年”
この旧牛子堰は昭和初期に新しい流路が開鑿され九十川の共栄橋のところに出来た新しい”牛戸堰”に役目を引き継いたのでわずか10数年の稼動だったようだ。

Photo6 共栄橋から上流側 牛子堰は共栄橋の直ぐ隣
田に水を張る時期に牛子堰を閉じるとその直ぐ下流の共益橋あたりは水量が減り川床や堤防の法面が蛇篭だったのでザリガニの宝庫だった。
共栄橋から九十川は少し弧を描いて後は一直線に新河岸川に向かい合流する。

Photo7 昭和初期に開鑿された九十川 1つだけ残る橋
九十川左岸堤防上を新河岸川との合流点目指して進むと以前は九十川の左右を繋ぐ農業用の渡るのが怖い欄干が無い橋が2本ほどあったが今残っているのは1本のみ。残存する橋は橋脚に昔の面影を残しているが両岸ともに宅地化が進み欄干が設けられていた。他の橋は撤去され場所さえわからなくなり跡形も無い。
激特法で出来た九十川樋門周辺はまだ堤防と川床改良工事が進行中で

Photo8 九十川樋門
九十川樋門のとなりに出来た九十川排水機場は九十川と新河岸川に囲まれたた地域の出水時には九十川を経て新河岸川に排水するようだ。

Photo9 九十川排水機場
新河岸川左岸堤防上の道を対岸の江川樋門・新鷹匠橋・寺尾町制池排水機場を見ながら上流に向かいて進み、途中から堤防から降って市道5255に出た。
道路横の牛子稲荷神社に立ち寄り、赤い鳥居の根元に力石2個見つけたが文字は刻まれていない。

Photo10 牛子稲荷神社の力石
更に市道5255を進み県道336今福木野目線と交差、市道5212から市道5202に入り砂中学校横の新河岸川堤防上に出た。このあたりにかつて扇橋があったが今は無く、砂中学校西側を通る市道99が新扇橋で新河岸川を越えている。

Photo11 新扇橋
新扇橋の直ぐ上流は不老川と新河岸川の合流点だが今日は市道99を新河岸方面に向かい、新扇橋を渡って扇河岸に入った。
かつては新河岸五河岸(寺尾河岸、牛子河岸、下新河岸、上新河岸、扇河岸)の一番上流のにあった扇河岸も私が遊びまわっていた当時にも既に面影は無く、点在する民家と田んぼだった。市道99から左折して市道5266に入ると堤防に突き当り、多分この延長に扇橋があったと思うがあたりの風景は一変していた。
新河岸川右岸堤防上を少し南下すると右側に今は干上がってしまった”弁天沼”跡。当時弁天沼かられ出す川は深く両岸は葦が茂っていたが今はわずかな水流と葦原が残っている。

Photo12 弁天沼跡
深い水を湛えていた弁天沼も今では広場となり、沼の畔にあった弁天様を祭る厳島神社も古びているものの昔の社殿ではなかった。
弁天沼から道路を隔てた旧養魚池の横を抜け、かつてあった釣堀”川越淡水魚センター”を目指した。
”川越淡水魚センター”は昭和初期の新河岸川改修工事のときに出来た旧新河岸川の河道跡にあった池で虹鱒などの管理釣り場。

Photo13 川越淡水魚センター跡
川魚魚料理の”かしわや”もあったが残念なことに平成10年の水害い、その後の激特法による新河岸川工事で池の大半が増強された堤防の下になってしまった。
残る一部も干上がって残念な姿になり新河岸川との間に排水機場が出来ていた。
川越淡水魚センター跡から先日訪れた砂氷川神社の横を抜けて新河岸駅前を通り起点に戻った。