高階五社と力石

0藤間諏訪神社力石Ⅱ_4905
Photo0 藤間諏訪神社境内の一隅に置かれた力石

記録
日程:2019,01,13

メンバー:安田
01/13天候 快晴:
行程5.7km   歩いたルートマップは こちら 参考にした100年前の古い地図は こちら です。
        記載した川越市の市道番号は 小江戸川越マップの道路台帳 を参考にしました。

小学校や中学校それに市民センターなど川越市の地区として名を残す”高階”。この地区は昭和30年に川越市と合併する以前は高階村と呼ばれ、その高階村成立(明治22年)以前は藤間村・寺尾村・扇河岸村・上新河岸村・下新河岸村・砂村・砂新田村と分かれていた。

いま、高階地区にはかつての村を代表する神社が五社(藤間諏訪神社・寺尾日枝神社・新河岸日枝神社・砂氷川神社・砂新田春日神社)あります。
五社を巡って参拝することを”高階五社巡り”といって正月には最近まで各神社にスタンプと台紙が置かれていたそうですが・・・・私は実物を1回見たことがあるだけです。子供の頃は当然無かったし社会人現役地元空白時間中は初詣に出かけても神社を徘徊することが無かったので気がつかなかった。
それぞれの神社には子供の頃には良く遊びに行ったものだがその後半世紀以上ご無沙汰。今日は神社に置かれている力石探しで一気に五社を巡ってみた。

高階市民センターを起点に一番近い藤間諏訪神社に向かうが正月中だった先日とは異なり鳥居横に幟は立っていなかった。目当ての力石は鳥居をくぐって石段を登りきった境内の片隅、石段の左右に一つずつ置かれていた。
1藤間諏訪神社境内_9055
     Photo1 藤間諏訪神社の力石 石段上両側

次は寺尾日枝神社。先日寺尾調整池へ歩いた道とは異なり今度は台地の中腹を行く細道を進むことにした。今は市道5359になっておりすぐに左に曲がって台地の上に向うように伸びって居る。左へ曲がる突き当たりを見れば民家の裏に延びる細い踏跡があったのでこれを進むと直ぐに市道5360に出た。
2寺尾市道消滅箇所_9056
     Photo2 市道5360突き当りから振り返った細道

地図を見ても道が無いが子供の頃は家も殆ど無かったので勝手に通っていたのか。
市道5360に出ると寺尾日枝神社は目の前だが道を下って鳥居をくぐり正規の参道から境内を目指した。
3寺尾日枝神社力石_9059
     Photo3 寺尾日枝神社の力石 石段を登って左側

力石はここでも参道の石段を登りきった左側に1個置かれていた。

次に新河岸日枝神社目指すが寺尾日枝神社周辺から新河岸日枝神社の間は畑が広がり、北側に防風林を持った農家が点在していた往時とは様変わりして道の両側は立ち並ぶ住宅で見通しが利かない上に新しく出来た道もそこかしこ。子供の頃に通った道を記憶を頼りに曲がり具合を確認しながら進むが道幅が狭くその上新しく出来た道で複雑になってしまったのでとても車で乗り入れる気になれない。
観音堂と境内を一にする新河岸日枝神社の社殿は左手奥の一段と高くなった小山の上にある。
4新河岸日枝神社_9062
     Photo4 左奥小高いのが新河岸日枝神社 右は観音堂

境内と社殿の周りを探してみたが力石は発見できず、境内左から石段を降った広場奥の厳島神社の
5厳島神社_9050
     Photo5 厳島神社
社の裏に台座に乗った力石3個を見出した。
6厳島神社力石_9064
     Photo6 日枝神社それとも厳島神社?の力石 台座の上に3個

厳島神社の広場から隣の新河岸川河岸場跡を通り抜け県道336今福木野目線の新河岸川に架かる旭橋の畔に出た。
ここから川越街道市道46までは県道336今福木野目線を歩くことになる。とても県道とは思えない生活道路のような道だが川越地方の物資輸送の拠点として栄えた新河岸から川越街道を経て川越城下に通じる道なのでいち早く主要道として県道になったらしい。
今は県道を示す道路標識も見受けられず、沿道の住民さえ殆ど知らないのでは?
旭橋から新河岸川に沿って進むと道は直ぐに左に曲がりさらに進むと正面に砂氷川神社がある。道はここで今度は右折し更に屈曲を繰り返して東上線を踏切で越え、
7県道踏み切り_9071
     Photo7 とても県道とは思えない今福木野目線の東上線踏切

R254と交差(信号は無い)、その後更に右、左と曲がってやがて川越街道市道46に出る。

砂氷川神社では社殿左側の御大典記念碑の前、左右に並べられた2個の力石を見つけた。
8砂氷川神社力石_9069
 Photo8 砂氷川神社の力石 御大典記念碑前に2個
いつから現在地に置かれているのか解らないが大典記念碑は多分昭和天皇即位時のものと思われるのでそれ以降ということになる。

この砂氷川神社で思わぬものを発見。
     Photo9 “〆の子”を垂れ下がった注連縄

丁度正月直後なので各神社とも鳥居には真新しい“紙垂(しで)”の垂れ下がった注連縄が張られていたが、ここ砂氷川神社では“紙垂”の代わりに”〆の子"と言われる藁を束ねたものが下がっていました。
見たとき不思議に思い帰宅後調べてみて"〆の子”ということが解りました。漫然と歩いていたのでは頭上にあるものにまでなかなか気が回らないが今回は力石探しでキョロキョロしたおかげでまた一つ知識が広まったのは五社巡りの御利益!
神社入口のご神木と鳥居の“〆の子”飾りの注連縄は他の4社とは異なるという個性表現ですかね。

砂氷川神社から再び県道に出て砂新田春日神社を目指す。
かつて並んでいた背後に防風林を持った家々はすっかり様変わりして今は防風林も無くなりかつてのかつての農家は大きな新築の家になっていた。
川越街道市道46に出て左折し少し進むと左側に砂新田春日神社。
10砂新田春日神社_9075
     Photo10 石段の上が砂新田春日神社

鳥居をくぐって石段を登り社殿に進んでみたが周囲を石垣に囲われた小山の上なので社殿周囲を巡るのが精一杯。
力石を探して違う石段を降ると境内社の稲荷神社の社の前に力石が1個置かれていました。
11砂新田春日神社力石_9076
     Photo11 境内社 稲荷神社前の力石

春日神社で高階五社巡りを終え、ここからは川越街道を南下してすっかり変わってしまった道路両側の家並みを見ながら起点の高階市民ンセンターまでもどった。
今回確認できた力石は高階五社で9個。全て重さが刻まれているものばかりで大きさも様々だった。かつては力石を持ち上げられれば一人前と認められ、15歳以上で酒一升で若者組に仲間入りが出来たとか。
若者組は祭りやその他村の行事を取り仕切ったと言うことなので村で中心的な役割を果たしたのでしょう。村で認められ生活してゆくためには課題の力石挙げを受けなければならないのですから現在の資格試験と同じ様なもの。

神社に残された力石の重さがまちまちなので若者組に入った人たちは自分が持ち上げた石の重さを自慢しあい、娘たちにもモテて熱い視線を注がれたたのでしょう。それとも別に試験用の石があったでしょうか?今となっては解りませんが・・・・・
現存する重さが刻まれた力石は力自慢の村のエリートたちの記念碑?




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