貧乏神追放神社(招福神社)

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     Photo0 貧乏神追放神社(招福神社)

群馬県みどり市から日光に向かう途中にある草木湖畔にある草木ドライブインに立ち寄った際ちょっと変わった神社を見つけた。
この道路は足尾の沢や山に出かけるときに通る道であるが草木湖はいつもスルーしていた。今回何気なく立ち寄ってみたところ駐車場の一隅に”貧乏神追放神社”の幟が立っていたので幟の文字につられて神社を訪れてみた。

幟は”貧乏神追放神社”であるが社の額は”招福神社”
社の中には中央に”ご神木”右側に打ち出の小槌を持った大黒様の石像。
奥にはいかにもといった感じの2体の木造があるがどちらが貧乏神でどちらが疫病神かわからない。
15貧乏神と疫病神
     Photo1 何れが貧乏神?疫病神?

案内板によれば
      大声で「貧乏神・疫病神出て行け」
      ”御神木を三回叩いて
      三回蹴飛ばすと”
      ”御神木を三回叩いて悲鳴を上げて退散!


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     Photo2ボコボコに打たれた御神木

左手前に並んでいる竹の棒を握ってご神木を叩いて足でご神木を蹴ってきました。
貧乏神と疫病神の間の壁に窓があいていたのでそこから退散したでしょう。ご利益はいかに。
多くの人の願いを担って叩かれた御神木はボコボコ、かなり摩滅していました。

黒髪尾根周回あれこれ

榛名 黒髪尾根・相馬山周回    Appendix
   
洗い越し
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     Photo1 洗い流し構造

登山に出かけ林道を歩いていると時たま道路を横切るように沢が流れるようになっている場所がある。普通は沢や川には橋を架けて道路が横切るものだと思い込んでいたので道の上を水が流れるのは工事の手抜きや氾濫による災害跡と思っていた。今回2箇所も道路上を横切る沢を渡渉したので調べてみると道路上を水流が横切る構造を”洗い流し”と呼ぶことが判った。
”洗い流し”とは?
          川に橋を架けずに道路と川が平面交差している構造

最初から意図された立派な構造だったんだ。疑問を持って調べるといろいろ勉強になる。山行でちょっとお利口になった。

大正13年の旱魃
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     Photo2 大正12年旱魃の石碑

林道脇にあった大岩の上に立つ”大正13年の旱魃”碑から気になって調べてみると大正13年には西日本、中部日本を中心に全国的に大旱魃に襲われた事が分かった。
この旱魃災害が契機となり各地に用水が整備され、四国を中心とする瀬戸内海沿岸では田野々池(豊稔池)などの近代式ため池の築造がはじまった。碑が残されているということは榛名山麓でも旱魃災害が大きかったのであろう。
まだ90年そこそこの時間しか経っていないので災害の記憶は忘れ去られ大旱魃の碑は訪れる人も殆どいない。
いまや廃道になってしまった黒髪山登山道の脇に建っている碑だが建てられた頃には多くの登山者、参詣人が碑の前を行き交ったのであろう。

黒髪山登山道
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     Photo3 黒上山登山道 両側には石碑が並んでいます。

今回歩いた登山道は既に廃道になって久しいようだが、明治時代の鎖がかかっていたように昔から厳しい山道だったようである。
私が確認できた鎖は明治15年のもの、情報によると明治43年のものもあるらしい。
登山道の始点となる棒東村の黒髪山神社は相馬山(黒髪山)への登拝が困難な老人や婦女子のために明治20年に建てられた里宮で境内には”相馬山登山道"と刻まれた石碑も残るとか。
麓の榛東村の黒髪山神社(里宮)から山頂の黒髪山神社(奥宮)までの 古の登山道 を予想して地図に書き入れてみました。今では陸上自衛隊の演習場の中を通っていたようです。

右京の泣き堀
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      Photo4 右京の泣き堀

高崎城主松平右京太夫輝貞は榛名南麓の新田開発をするためスルス岩の下をくり貫いて榛名湖から水を引き白川へ流そうと考えたが工事に失敗中止となった。その用水トンネル跡が"右京の泣き堀”、”むだ堀”、”馬鹿堀”などと呼ばれる。榛名山麓は火山灰地なので旱魃のときだけでなく常日頃から水不足だったようだ。

デ・レーケ巨石堰堤
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     Photo5 デ・レーケの巨石堰堤

明治政府に雇われたオランダの土木技師ヨハンス・デ・レーケの指導を受けた技術者によって作られた砂防堰堤、大きな自然石を積み上げたアーチ形状。
今ではかなり埋まってしまったと思うが現在のコンクリート堰堤と違い自然石を積上げているので周辺の景色に溶け込み違和感が無い。榛名山山麓のデ・レーケ砂防堰堤は土木遺産になっている。

とまぁ、今回の山行で見かけた石碑や山岳信仰の跡・珍しい砂防堰堤など歴史的なもの、今まで疑問に思っていた道路構造など技術的なものを帰宅後に調べてみるとなかなか面白い。パソコンでいろいろ情報を漁っていると次から次へと拡大し・・・・・なんだか知恵熱が出そうです。


        記事本文 榛名 黒髪尾根・相馬山周回




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ジャンル : 趣味・実用

野反湖周辺の花

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     Photo0 シモツケソウ、ハクサンフウロ、ノゾリキスゲが入り乱れて

野反湖周辺にはいろいろな山野草の花が咲いていたのですが 前回のブログ に載せた写真は殆ど色物なし。花の写真を何枚か撮ったのですが眺めてみるとピンボケの嵐だったがどうにか見ることのできそうな写真をアップして みた。
といっても花の名前がかなり怪しいのでお気付きの方がいらっしゃいましたらぜひ正しい名前を教えてください。

山野草なので同じものが群をなして咲いているところもあるし、いろいろな種類が入り混じって咲いているところもあります。花をアップにせず見た目そのままの風景を撮ったのでは後から見るとガックリ。こんなじゃなかった。
経験がある方はざっくりした風景から花が咲き乱れている様子を想像していただけるとありがたい。
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     Photo1 ノハナショウブとハクサンフウロ

今までアヤメとショウブの違いが解らなかったのですが写真を見ながらネットで検索しているうちに漸く違いが解りました。ショウブは大きな花びらの付け根が黄色ということで今までアヤメと思い込んでいた紫色の花が実はショウブだったのです。野反湖周辺で見かけた花はノハナショウブといってよく公園で見かける花の改良以前の原種だそうです。
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     Photo2 花びらの付け根が黄色いノハナショウブ

何気ない風景の中に写りこんでいたアザミ。良く観れば違う種類でまっすぐ上を向いて咲いているのがノアザミ、数個の花が集まって下を向いて咲いているのがオニアザミ(ひょっとしたらジョウシュウオニアザミかも)
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     Photo3 オニアザミ(ジョウシュウオニアザミ?)

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     Photo4 ノアザミ

なぜかアザミは道端に多く、狭くて避けようがないトラバース路に咲いていると葉の棘がチクチク刺さり痛い。今まで気にも留めなかったが・・・・登山者の大敵であることは間違いない。まぁ、相手が攻撃してくるわけではないので一方的に敵だと思っているだけなのだが。

ハクサンフウロも沢山咲いていました。
5ハクサンフウロ_5919
     Photo5 ハクサンフウロ

シモツケソウは休憩舎の案内図に写真が載っていたのでたぶん名前は正解。
6シモツケソウ_5904
     Photo6 シモツケソウ

白い花も沢山咲いていたのですが写真で見られるのはヤマハハコぐらい。ほかにもアワモリショウマ?とかセンジュガンピなどなど
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     Photo7 ヤマハハコ

黄色の花は・・・・良くわからないのですが何種類も咲いていました。

とどめはクルマユリですが・・・・今までオニユリとクルマユリの違いが解らず???
今回撮った写真を見ると葉が茎の周りに車輪のスポークみたいに放射状についているのでクルマユリだと解りました。
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     Photo8 クルマユリ

良く山で見かけるオダマキですが今回目にしたのはキバナノヤマオダマキのみ。濃い紫色のオダマキは見かけませんでした。季節によるのか環境によるのかは良くわかりません。全草毒草だったとは・・・初めて知りました。
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     Photo9 キバナノヤマオダマキ


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さねすり岩と澳比古神社

0澳比古神社_5662
     Photo0 澳比古神社

赤城山 銚子の伽藍と乙女の滝   Appendix

さねすり岩

歌碑にあった蜀山人の句をその場では読み取れなかった。
1さねすり岩歌碑_5600
     Photo1 大田南畝(蜀山人)の歌碑

写真に撮っては見たがやはりよく解らない。そこで蜀山人・さねすり岩をネットで調べてみると
   さねすりの 岩をまたぎて
     紅つつじ
       ふもとの茶屋の
         たぼのゆもじか
蜀山人       と書かれているとのこと。
さねすり岩を跨ぐように咲いている赤いツツジは麓の茶屋の若い女性の湯文字のようだ   
と解してしまうとまるで面白みなし。わざわざさねすり岩で詠んだのだからもっと意味深長な艶っぽい内容なのだろう。
若い女性の湯文字だからいつも見えているわけではなく何かの拍子にちらりと見える。
従ってさねすり岩を跨ぐときに紅色のツツジの花のようなものがちらりと見えるとでも解釈すればよいのか?
古文が苦手だったので朧気にしか意味が解らない。勝手に解釈して楽しむのが本来の面白みであろう。
蜀山人が活躍した江戸時代、農村部ではまだまだ湯文字を使用することがまれだったので女性が仕事で腰をかがめたりすると陰部が丸みえになったそうだ。
写真では解りにくいがさねすり岩とは大岩全体ではなく本来は通過する大岩の割れ目に入るときに跨ぐ小岩のことらしい。
2されすり岩_5599
     Photo2 さねすり岩

ちょっと試してみたが小岩を跨ぐ際には岩の隙間が狭いので体が横向きになり丁度股間に小岩の尖りが来る。今よりも体格が小さく無防備だった当時では微妙ところに当たることがあったのかもしれない。
3さねすり部分_5601
     Photo3 さねすり岩を跨いで見ると

”さね”とは陰核のことなのでおおらかだった昔の人々は小岩を”さねすり岩”と言い慣わしたのあろう。
さねすり岩を越えるとやや岩の隙間が広がり足元も泥で平になって容易に通過できる。よって産道と呼ばれるのか。
理科系老人、疑問は実験実証にて確認のこと今だ衰えず。
さねすり岩があるつつじが峰通りは登山口が数箇所あり、かつては赤城山頂の赤城明神への参詣古道だったという。麓の三夜沢の赤城神社と大沼湖畔の赤城神社を繋ぐ道でもあった。参詣の老若男女が岩を通過する様を見て蜀山人も句に読んだのか?

澳比古神社
大猿公園を出てすぐのところに澳比古神社の鳥居があり林道(参道)を進むと社がある。
境内にある神社の由緒記によれば性信仰の性神が祀られているとのこと。社の中を覗き込めば男女の性器のオブジェが並んでおり、それぞれ男根石は比古(ヒコ)神、女陰石は比売(ヒメ)神として祀られている。
1812年にそれまで祀られていたご神体が大洪水で押し流されたという伝承があったが、近年の保全林整備事業の折に大猿川で行方不明になっていた神体が発見され改めて祀ったらしい。
女陰を刻んだ比売神のご神体には表面に赤い着色があったがフラッシュを使った写真では見えなくなってしまった。
4比売神_5667
     Photo4 比売神 わずかに赤い着色が残る

しかし表面の文様ははっきり認識できリアルそのもの。男根を模した比古神のほうは新しいもののようだが、参拝者に向かってご立派!5比古神の命_5675
Photo5 比古神

ご神体流失が1812年、蜀山人が1749年生まれで1823年没であるから蜀山人が当所を訪れ、さねすり岩の句を詠んだ時、おそらく今よりは着色鮮やかだったご神体を目にしたであろう。
いろいろな山に登っていると、麓や山中あるいは山頂に在る祠で性信仰のご神体にお目にかかることがある。圧倒的に男根を模した金精様のほうが多いので育てる畑よりも種が無ければ何も始まらないと考えていたので男根オブジェの陽形が多いのか?それとも崇拝対象としての造形しやすさからか?などと思っていたら
日常生活に密着した竃の神様”かまど神”は女性で、そのかまど神を喜ばせるために男根を模した陽形のオブジェを奉ったようだ。
性信仰といい句碑といい、今では人目をはばかるような性に関する事物に対し、キリスト教西洋文明が入ってくる以前の日本人は今よりはずっとおおらかだったようだ。

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